教育研究上の目的・人材像

教育方針と教育目標

創造と表現

私たちは誰に教えられなくても創造の喜びを知っている。幼い子供の手が泥土に触れると、たちまち二つの掌の間で泥団子がこね上げられる。泥団子は子供が自ら創造し所有することのできる小宇宙だ。

私たちは、個々人により強弱の違いはあれ、表現への欲望を持っている。例えば旅から帰ったとき、その旅の実りが多ければ多いほど、あるいは逆にトラブルやスリルでいっぱいだったとき、旅の見聞をだれかに聞いてもらいたくなる。

文芸創作学科は、創造と表現の喜びを満たすことのできるユニークな学科である。

文学部の他の学科が、基本的に学問・研究を目的にしているのに比してユニークなのである。学問・研究においても学問的創造が求められ、それこそが研究者にとっての表現の舞台なのだが、文芸創作学科では創造や表現が学科の存在理由そのものになっているのである。

文学部の中でこの学科がユニークな存在であることは、中に入ってしまえば、かえってわかりにくくなるかもしれない。違いが目に見えるわけではないし、勉学の場であるという基本線は他の学科と変わらないのだから。しかし、このことは頭に入れておく方がいい。……念のために一言。私たちの学科が他の諸学科と異なっていることは自慢すべきことでも、また卑下すべきことでもない。ただ事実を認識しておくこと。

作家養成学科?

あなたが文芸創作学科の学生であることが知れると、人はきっと「あなたは作家を目指しているの?」ときくだろう。

その答えはイエスでもノーでも、あるいは曖昧に首をかしげるでも、なんでもかまわないのだが、一つ覚えておいてほしいことがある。

この学科のカリキュラムは、あなたを作家にすることを直接の目的につくられていない、ということだ。この学科は、というより、この点では他の文学部諸学科と共通なのだが、医学部や専門学校のような職業的専門教育を施す場所ではないのである。

では、文芸創作学科は、また文学部諸学科は、なにを教育の目的にしているか?

それぞれの学科が専門とする学問を教えることで、学生を社会に通用する教養ある人間に育てること・・少なくとも文芸創作学科ではそのように考えている。その専門分野が、文芸創作学科では文学的創造、文学的表現だということである。

もちろん、諸学科の学生の中から専門の研究の道に進む人が出て来るように、文芸創作学科から小説家や詩人や批評家や映画作家が出て来たとしたら、これは大変な喜びであるだろう。

文芸創作学科が養成しようとする人材

文芸創作学科は、創作を基礎に文学を学ぶ場所である。創作に照準を合わせることによって、文学を、人がよりよく生き、よりよく考えるための智恵としてとらえ直したいと考えている。

創造は喜びであると先に述べた。しかし創作は同時に、それが真剣なものであればあるほど、産みの苦しみの過程を含むことになる。この創造の喜びと苦しみを経験することによって、文学を生きた知恵として学ぶことができると私たちは信じている。

創造の場においてこそ、文学の真の力が試される。そこでは、あなたの知識や感性、表現力だけでなく、生きてきた経験や世界観までもが問われることになるからだ。

このような創作の過程を経ることによって、人間と世界に関する認識を深め、個々の経験に新しい表現を与えること、それが文芸創作学科の究極の目標なのである。

この認識の力、表現の力は夢のようなあやふやなものではない。それらは実社会において有用なのである。文章表現の力は、経済・社会が情報化によって大きく変貌を遂げつつある今日、さらに重要度を増している。また個人が情報を批判的に読み取り、その認識を文章として正確に書き表す能力を持つことは、現代社会において不可欠である。文芸創作学科では、そのような能力を持った有為の人間を養成することを目標としている。

文学の宇宙(ユニヴァース)

文芸創作学科は「文学の宇宙(ユニヴァース)」を自称している。

文学の世界は無限ともいえる広がりを持っている。またその一方で、様々な作品・作家が、時代や民族を越えて理解可能であるのは、文学の「普遍的な体系」がこの世界に存在しているからだろう。私たちは、この広がりと「体系」の両者を総合して「文学の宇宙」と呼んでいる。

文芸創作学科は、この「文学の宇宙」の縮小版である。したがってカリキュラムの中身は、現代文学・日本文学に限定されない。あなたは神話の時代から近代に至る間に生みだされた古典を学び、さらにアジアから欧米にまたがる広い地域の文学を視野に入れることになる。また文学を「狭義の文学」に限定せず、哲学・民俗学・映画・美術・演劇なども学科の専門科目として学ぶことができるようになっている。

一冊の本は宇宙に見立てられることがある。本の中に、またその背後に控えている、世界の無限の広がりをさしてそう言うのだろう。文学作品もまた一個の宇宙である。一つの作品を支える背後の世界もまた、無限に大きい。あなたは文芸創作学科で学ぶことによって、このような文学の世界を自分のものにすることになる。あなたは自らの内に文学の宇宙を所有するのだ。

それが幼い子供の手にした泥団子より貴重なものであるかどうかはわからない。しかし、より豊かなものであることは間違いないだろう。

学習の展開

文芸創作学科では、読むことと書くことが不可分のものとして結びつけられる。

読むことは、まずなにより喜びである。本を、作品を、分析するのではなく全体として味わうこと、あるいは魅力ある細部に耽溺すること、このような喜びを知らない読書は、貧しいものでしかない。しかし、この喜びを「教育する」ことはできない。ここで私たちができるのは、素材を提供し、喜ばしい読書の発見へと導くことでしかない。

また書くことは、読むことなしにはありえない。作品を批評的に読むことなしに、創造的にものを書くことはできないのである。すぐれた作品は作品自体が批評的であり、他方、すぐれた批評はその批評自体が一つの作品になっている。批評的に読むこと抜きで創作が行われてもひとりよがりの落書きでしかない。逆に、それ自身が作品になるという創作への志向がない場合、批評は感想文へと堕落する。私たちが創作に重心をおいて文学を教えるとは、作品を批評的に読むことが創造的に書くことにつながるよう教えることなのである。

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