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臨床と基礎研究を往還できる環境で、若い研究者は自信を持って発信を

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ちなみに、活性化髄核細胞移植術10例の経過観察をはじめ、こうした研究ができたのも、東海大学医学部内に無菌・無塵を保つ細胞調製室(いわゆるクリーンルーム)を有しているからだという。実際にそこは二重の防護服が必要とされ、厳重に無菌状態の環境が保たれていた。また、再生医学センターには持田教授がリードする脊椎のほか、血液や血管、皮膚、関節軟骨などそれぞれの専門領域の研究者が集結。垣根を作ることなく多くの分野の頭脳が集まり、意見を交わすなど良き活性化をもたらしている。

このようにハード・ソフトとも「恵まれた環境の中で研究できたことを感謝したい」という持田教授だが、今後は「活性化髄核細胞移植術」についてさらに研究を進めていきたいという。

「私たちが研究してきた細胞移植術を誰もが治療法として受けられる状況にするには、まだまだ壁が立ちはだかっています。国内で同じように細胞処理ができる施設は限られており、現時点では多くの費用がかかるため医療経済上も問題が山積みです。今年からは製薬会社と連携を取っていく方向にあり、少しでも早く臨床の現場で治療法として使っていただけるよう努力していきたいです」。

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若い頃は臨床医として、年間200例もの脊椎手術をしたこともあるという持田教授。現在、執刀数そのものは少なくなっているが、いまだに週2回は重症患者の外来でのケアを中心に診療にあたっている。長年、臨床と研究の間を往還してきた経験を生かし、時に腰椎の模型や画像を見せながら丁寧に患者へ説明し、痛みの緩和へ向け優しい眼差しを送る姿がある。

「臨床をしながら疑問点や問題点を基礎研究の場に戻し、さらにその成果を臨床に還元することはとても大切だと感じますね。医学部における研究は、臨床につながるテーマにこそ力を注いだ方がいいというのが私の考え。その意味で、付属病院が隣接し、研究から診療へダイレクトにつなげる本学の再生医学センターは非常に価値があるといえるでしょう」。

65歳の定年まで残り数年。大学院医学研究科研究科長も14年3月に退任したが、「このような役職を続ける気持ちはないし、後進に託すだけ」という。それでも、まだまだ海外への学会活動などを含めて国内外を飛び回る日々だ。休みの日は自宅のある鎌倉で、奥様との時を大切に散歩をするのが幸せという。気さくな人柄で交友関係も広い。普段は医学から離れた人との交流が楽しいという。また、学会活動などで立ち寄った国で水族館を見るのが楽しくて仕方がないとか。

「この20年を振り返ると、約30名の医師や研究者、研究助手が研究に携わってくれました。人数が少ない分、一人ひとりの作業量が多く、逆に全員が研究者としての高いスキルを獲得できたと思います。今後はこれまでの経験を生かし、若手研究者を育成し、見守ることが私の役目でしょう」。

後進の育成に関しては、「日本人はすぐ頑張れと他人に言うが、頑張れという言葉は自分に向けて発せられるもので、人に発するものではない」というフランス人の知人からの言葉に共感したという。

「頑張れと言わなくても、頑張る人は頑張るものです。今は研究者の背中をそっと後押しするような気持ちで、見守っていきたい。強いて言うならば、今の若い研究者は謙虚すぎる面があるので、もっと自信を持って研究し、胸を張って業績を世界に発信してもいいと思います」。

長年ヒトの根幹をなす脊椎の仕組みに迫り、臨床でも研究でも多くの人を支えてきた人ならではの含蓄のある言葉が返ってきた。

持田 讓治 PROFILE