馬場教授が「戦後大衆文化史と緒形拳 ―俳優アーカイブの可能性―」をテーマに講演しました

東海大学では12月5日に横浜市歴史博物館で、「戦後大衆文化史と緒形拳 ―俳優アーカイブの可能性―」を開催し、教育開発研究センターの馬場弘臣教授が講師を務めました。馬場教授と学生らが長年にわたって資料を整理し、準備してきた企画展「俳優緒形拳とその時代―戦後大衆文化史の軌跡―」(主催:東海大学、横浜市歴史博物館)の一環で開いたもので、多数が来場しました。

馬場教授は、緒形拳の略歴を紹介した後、約50年にわたる俳優人生を約10年ごとに5つのカテゴリーに分けてその仕事内容を紹介。「新国劇修業時代は舞台が209本と圧倒的に多く、そのうち32本で主演を務めています。緒形さんが『テレビ他流試合時代』と書き残している68年から79年は72本のテレビドラマに出演。1980年からは25本の映画に出演し、13本で主演を務める映画全盛時代だった一方で、28本のテレビドラマで主演を張るなど、“一番脂が乗っていた”時期だといえます」と話します。その後、「1990年以降は多くのドキュメンタリーに出演し、2000年以降は再び舞台の出演本数も増えていきました」と紹介し、各カテゴリーの時代背景も解説。「新国劇修業時代は第2次高度経済成長期に当たり、娯楽の中心が大衆演劇でした。73年のオイルショックによって社会は大きく変化し、80年代に入るとテレビが全盛期を迎え、90年代にはバブルが崩壊して就職氷河期やロストジェネレーションといった言葉も生まれました。時代の変化とともに、各年代でそれぞれ違う緒形拳が存在していました」とまとめました。

続いて各カテゴリーの出演作などを細かく紹介し、1958年から所属した新国劇では、劇作家の北條秀司、俳優の島田正吾と辰巳柳太郎という3人の師匠が存在したことに触れ、「緒形さんにとって第1の転機は60年、『遠い一つの道』と『丹那隧道』で主役に抜擢されたことでした。65年にはNHK大河ドラマ『太閤記』で主演の豊臣秀吉を演じ、翌66年には『源義経』で武蔵坊弁慶役を務めるなど第2の転機を迎えます」と解説します。「映画のイメージが強いのですが、実はテレビの申し子だったのではないかと考えています。緒形さんといえば72年の『必殺仕事人』や79年の『復讐するは我にあり』をイメージする人も多いのではないでしょうか。83年に『楢山節考』がカンヌ国際映画祭のパルム・ドールを受賞し、自身も3本の映画で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞するなど、日本映画の衰退期といわれた時代に一人活躍していたのが緒形さんだったといえます」と語りました。

企画展は12月6日で会期を終えました。馬場教授は、「俳優・緒形拳を通して戦後大衆文化を見ることを大きなテーマに掲げた今回の企画展には、老若男女問わず多くの人に足を運んでいただきました。今後も緒形さんの資料整理を続けるとともに、一つひとつの芝居がどう評価されていたかも分析していきたい。緒形さん以外にもさまざまな人の人生を回顧しながら時代の中に落とし込み、データベースを作ってアーカイブとして残していくシステムも構築できれば」と今後の展望を語っています。