小説家の辻原登名誉教授が文化功労者に選ばれました

小説家で本学の辻原登名誉教授が令和4年度の文化功労者に選ばれました。文化の向上発達に関し特に功績顕著な者に贈られる称号です。

辻原名誉教授は、1990年に『村の名前』で芥川賞を受賞して以後、2000年には『遊動亭円木』で第36回谷崎潤一郎賞、05年『枯葉の中の青い炎』で第31回川端康成文学賞、06年長編小説『花はさくら木』で第33回大佛次郎賞、10年に『許されざる者』で第51回毎日芸術賞に選出されるなど、権威ある文学賞を多数受賞しています。また、12年に紫綬褒章、15年度には恩賜賞と日本芸術院賞を受賞。現在は、公益財団法人神奈川文学振興会理事長、横浜市にある県立神奈川近代文学館館長を務めています。「小説を書くのは自分のわがままで、人の役に立つことではありません。だから、文化功労者として国から顕彰されるのはおこがましいと思っています。でも、私の小説を面白いと思ってくれる人がいるのなら、これも文学の功徳と受けとめています」と辻原名誉教授は語ります。

本学では1992年から教鞭をとり、付属校生が学びの成果を競う学園オリンピック国語部門や文芸創作学科の創設に尽力。2001年度からは同学科の主任として教育と運営に携わり、18年には「辻原登文庫」を湘南校舎の付属図書館に寄贈しました。「文芸創作学部は“創作”とうたっていますが、教育にあたって重視したのは書く力ではなく読む力でした。大学は社会で生きる術を学ぶ場所です。小説や詩はもちろん、哲学、経済学、社会学など多様な分野の良書を徹底的に読み、理解する力、考える力を身につけなければなりません。創作活動には、社会人としての責任を果たしながら時間を見つけて取り組めばいい。学生時代に培った読む力が、書く力の礎にもなるのです」と話します。

そうした信念の根底には、小説を書くことに執着して30歳まで無職だった自身の経験があるといいます。「就職し、守るべき家族を持って、ようやく何を書くべきかを見出せました。自分にとっては禄を食みながら小説を書くことが大切であり、それを実現させてくれた東海大に感謝しています」と語ります。「最近、作家デビュー間もない30代の教え子から、“書かせずに読ませた先生の意図がようやくわかった”と長文の手紙が届きました。本当にうれしいことです。学生時代ほど集中して読書ができる時期はありません。若い人たちには、ぜひ多くの良書を読んでほしいと願っています」と語っています。