極東連邦大学日本オフィス(東京)の開所式とアニシモフ総長への名誉博士(理学)学位授与式を行いました

2018年10月29日

東海大学では10月29日に東京・霞が関の東海大学校友会館で、ロシア連邦・極東連邦大学日本オフィス(東京)の開設記念式典と、極東連邦大のニキータ・アニシモフ総長への名誉博士(理学)学位授与式を開催しました。式典には、ユーリ・トルトネフ副首相、ミハイル・ガルージン駐日ロシア大使をはじめとするロシア・日本両政府関係者が列席、アニシモフ総長、山田清志学長ら両大学関係者、日ロの大学生らが出席しました。

ユーリ・トルトネフ副首相
開設記念式典では、トルトネフ副首相やガルージン大使、アニシモフ総長、山田学長によるテープカットの後、山田学長からアニシモフ総長にオフィスのサインボードを手渡しました。式典では、トルトネフ副首相が「本日は、プーチン大統領が重視している極東地域の発展のためにも大変重要な日です。現代は競争に満ちた時代ですが、競争に勝つのは将来を考える者であると考えています。その将来を担う若者を育成している両大学が、これからも発展することを祈念します」とあいさつ。山田学長が「先月の東方経済フォーラムの会場で東海大の極東オフィスを開設し、本日、極東大の日本オフィスを開設しました。極東大が日本国内初のオフィスを東海大に開設してくれたことに感謝します。2つのオフィスが、両大の教育・研究の発展のみならず、日ロ両国の連携強化のために活用されることを願っています」と述べました。またアニシモフ総長は、「これからも大きな意志を持って両大学で連携していきたい。このオフィスから、両国の未来を担う多くの若者が育ってくれることを期待しています」と話しました。さらにガルージン大使は、「日ロの科学協力において東海大は先駆けであり、極東大は歴史とイノベーションに満ちた大学です。両大学の協力がさらに素晴らしい成果を生み出し、日ロ関係促進に貢献してくれることを確信しています」と語りました。

続いて名誉学位授与式を開催し、松前達郎総長のあいさつを山田学長が代読。「アニシモフ総長の活動は、両大学の連携の枠をこえ、両国関係の強化、ひいては世界平和の実現に寄与するものです」と語りました。その後、山田学長がアニシモフ総長に学位記を、大学院総合理工学研究科の稲津敏行研究科長が記念のメダルをそれぞれ授与。アニシモフ総長が、「日ロの教育連携を深めるため、これからも努力を続けていきたい。本日列席している学生たちにも、新しいプログラムを提供していく決意です」と感謝の言葉を述べました。

式典後には、アニシモフ総長による特別講演会「極東連邦大学 アジア太平洋地域において」(主催=東海大学・日本対外文化協会)も実施。極東地域とロシアにおける高等教育の状況、国際競争力強化を目指す同大学の取り組み、今後の戦略などを紹介しました。続いて、記念レセプションも実施。レセプションでは来賓を代表して文部科学省高等教育局の義本博司局長が、「近年日本とロシアは、高等教育における交流を加速させており、両国間の人的交流は年々活発になっています。両大学の交流が活発になることは、両国の関係強化に寄与することを確信しています」と式辞を述べました。また乾杯のあいさつでは、元・日本学術会議議長の黒川清氏(政策研究大学院大学名誉教授・東海大学特別栄誉教授)が、「世界のありようは急速に変わっており、先が見えないように思います。そのような時こそ、大学の国境をこえた連携は大きな価値を持ちます。東海大は高い教育の理想を掲げて、松前重義先生によって設立され、東西冷戦のさなかでも長い将来を見通して両国間の人材交流を進めてきました。本日は、松前総長が掲げてきた理想の一つの結実だと思います」と語りました。

そのほか、本学および都内の大学に留学している極東連邦大のロシア人学生と、アニシモフ総長、山田学長による懇話会も行いました。

【アニシモフ総長の功績】
アニシモフ総長は、2001年にモスクワ国立大学機械・数学部で博士(物理・数学)を取得。代数力学のうち無限次元代数に関する研究で顕著な功績を残してきました。その後、12年からはモスクワ大の教務担当副学長などを務め、16年に極東連邦大学の臨時総長となり、17年12月に総長に就任。毎年極東大のあるウラジオストクで開かれている「東方経済フォーラム」を成功に導いてきたほか、キャンパス内に「ルースキーテクノパーク」を創設して大学の教育・研究を生かしたイノベーション創出に力を入れるなど、大学運営者としても大きな業績を残しています。本学との関係においても、連携強化に多大な尽力を果たし、17年4月には日露両国の「Quality Of Life」向上を目指す「ライフイノベーションに関する共同研究と人材育成に関する覚書」を合意。今年8月に実施した本学の海洋調査実習船「望星丸」でウラジオストクを訪問する「ウラジオストク航海研修」にも全面的に協力し、日露両国間における初の試みとなった「洋上での学生交流」の成功に大きく貢献しました。

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