「劇作家 北條秀司の世界―小田原で開花した才能と情熱―」展と記念イベントを開催しました

文明研究所では10月26日から小田原市の小田原文学館、おだわら市民交流センターUMECO、旧松本剛吉別邸の3カ所で「劇作家 北條秀司の世界 ―小田原で開花した才能と情熱― 」展を、11月12日に市内の報徳会館(報徳二宮神社境内)で記念イベント「劇作家・北條秀司と『王将』」を開催しました。

将棋棋士 坂田三吉の波乱に富んだ生涯を描いた『王将』の作者として知られる劇作家・北條秀司は、1996年に93歳で亡くなるまで、220編あまりの脚本を世に送り出しました。本学では教育開発研究センター(文明研究所)の馬場弘臣教授が小田原市立図書館(当時)から依頼を受け、2000年から北條氏の資料整理に着手しており、04年にはこれらの資料が本学付属中央図書館に寄託されました。北條家には生原稿や台本、著名人からの書簡はもとより、俳優や文化人から贈られた書画など、多彩な資料が膨大に残されています。今回の企画展は本学と小田原市立中央図書館が共催し、社団法人日本ゆたかなまちづくり研究会の協力を得て、馬場教授と大学院文学研究科日本史専攻の大学院生、文学部歴史学科日本史専攻の学生らが進めてきた資料整理の成果を公開するもので、北條秀司生誕満120年の記念展覧会にもなっています。

3カ所で実施した展覧会のメーン会場は小田原文学館(10月26日~12月3日)で、「劇作家・北條秀司 華やかな交流の軌跡」をテーマに、北條氏の作品や交流関係を示す資料を展示しています。さらに、おだわら市民交流センターUMECO(11月1日~15日)では、「名作『王将』が生まれた街 ―劇作家・北條秀司と小田原―」と題して、『王将』関係の映画や演劇のポスター、写真などをパネルで展示しました。また、小田原文学館に近い旧松本剛吉別邸(11月7日~19日)では、「劇作家・北條秀司と名優・緒形拳―交流の日々―」と題して、北條氏によって見いだされた故・緒形拳さんとの生涯にわたる交流を写真や書簡、書画などで紹介しました。

また、11月12日に報徳会館で開いた記念イベント「劇作家・北條秀司と『王将』」では、司会の江戸屋まねき猫さんの進行で、まず馬場教授が講演。北條秀司の生涯を振り返りつつ、代表作『王将』など各作品が生まれた背景と社会への影響などについて語るとともに、『王将』の主役である坂田三吉を長く演じた辰巳柳太郎と、ライバルで後の十三世名人となる関根金次郎七段を演じた島田正吾、北條秀司が出演したテレビ番組の貴重な録画を上映しました。馬場教授は、「王将が人気を博した背景には、“笑わせて泣かせる”北條芝居の台詞の妙が出ているためと考えられます。また、この作品を通じて、戦後の将棋界の発展に寄与したため北條には日本将棋連盟から名誉三段・四段の免状が贈られたことから、これらを戦後大衆文化史の一環として位置づけていくことが今後の課題です」と述べました。

続いて、緒形拳さんの長男で俳優の幹太さんとのトークショーを実施し、緒形拳さんと北條秀司、長女で女優の故・北條美智留さんとの交流秘話や、自身が出演した北條作品の思い出を振り返りました。さらに、講談師の神田蘭さんが新作講談『王将』第1部を初披露すると、原作の見せどころである関根七段に勝利した坂田三吉が娘の玉江から「将棋に品がない」と叱責される場面では、熱の入った台詞の一つひとつに聴衆が引き込まれ、感極まって涙を流す参加者も見られました。

馬場教授は、「今回の催しは2020年度に横浜市博物館で実施した『戦後大衆文化の軌跡―俳優 緒形拳とその時代―』と、22年度に湘南キャンパスで開いた「第1回緒形拳アーカイブ・カフェ」続くもので、20年にわたる北條秀司関連資料の整理、研究の集大成という位置づけです。一方で、演劇界はもとより歌舞伎界など多方面と交流があった北條家には、その交際範囲の広さを明示するように俳優や文化人から贈られた書画など、まだまだ多彩な資料が膨大に残されおり、整理しきれていない部分もあります。今後もこれらの整理作業を継続し、多くの人たちに北條秀司の功績やそこから広がる近現代大衆文化の魅力を伝えていければ」と話しています。