文明学科教授
大平秀一
アンデスでは、16世紀以前のお墓から、羽毛・羽毛装飾を伴う多様な製品が多数出土しています。その中には、織物のほぼ全面に多彩な羽毛を1本ずつびっしりと縫い付けたものがあります。今回の「マチュピチュ展」でも、最初に迎えてくれるのは1枚の大きな羽毛付き織物です。サイズと紐付きという構造を考えると身に付けるものではなく、おそらく棒や柱等に結んで祭祀時に掲げられたものと思われます(写真1)。アンデスでは、祭祀の際に多彩色の旗等が掲げられます。羽毛や羽毛製品には、いかなる意味があったのでしょうか。
先住民の神話的語りを1608年頃に書き留めた、「ワロチリ文書」(ペルー中央高地)という史料があります。強制的にキリスト教に改宗させる際、まずは土着的信仰の特徴・実践内容を把握することが重要と考えられました。多様な対策を練るほか、信仰対象・道具等を破壊するためです。この文書は、フランシスコ・デ・アビラというキリスト教の若い司祭が前にいて、誘導・質問をしながら、その地の先住民に伝統的信仰・慣習を語らせ、それをアビラの助手・先住民書記がケチュア語のまま書き留めて後に清書されたものです。アビラは、その語りをスペイン語に翻訳して出版を目論んでもいたようです。その原稿は「論考」(Tratado)として知られていますが、途中で執筆が放棄されています。
この「ワロチリ文書」の中には、羽毛に言及している興味深い語りがあります。

「…その頃、とても力に満ちた偉大な首長(apu)・タムタ・ニャムカ(Tamta Ñamca)というもう一人の男がいた。彼自身の家も他の所有する家も、鳥の羽毛で葺かれていたので、カサ(cassa)とカンチョ(cancho)という羽毛付き織物のように見えた。彼は、黄色、赤色、青色の、つまり考え得るあらゆる多様なリャマを所有していた。この男のすばらしい生き様が知れ渡ると、彼に敬意を払って崇拝するために、すべての村から人々がやって来た。そして彼は、本当はわずかな知識しかなかったにもかかわらず、偉大な賢人であるかのようなふりをし、たいへん多くの人を欺いて生きていた。それから、予言者や神(dios)のふりをしていたそのタムタ・ニャムカという男が、とても重い病気にかかった…(後略)…」。
「タムタ・ニャムカ」なる男は、「カサ」と「カンチョ」という多彩色の羽毛付き織物のように見える家に住まいまた持ち、やはり他彩色のリャマを所有していたそうです。アビラの「論考」の方には、「その家はとても豊かで、不思議なほどに飾られていて、屋根は多様な鳥の黄色や赤色の羽毛ででき、覆われているほどだった。同様に、とても不思議なことに壁も(羽毛に)覆われており、床にも(羽毛が)敷き詰められていた。そして、たいへん多くの土地の羊・リャマを持っており、それらは赤色や青色そして黄色など、とても美しい多様な色のもので、クンビ(良質の織物)あるいはその他の織物をつくるために、毛を染める必要がないほどだった」と記されており、多彩性がさらに強調されています。
このタムタ・ニャムカの病気の原因は、妻が姦通を犯したことにより、ヘビと双頭のカエルが家に棲み付いていることでした。山で昼寝をしていたワティア・クリという男が、2匹のキツネの会話を耳にしてその病因を知り、タムタ・ニャムカの所に向かいます。そして病気治療と引き換えに娘との結婚を求め、ヘビと双頭のカエルを取り除いて思いを果たします。ところが、義理の兄弟(妻の姉の夫)がその結婚を気に入らず、2人は抗争を始めます。抗争とはいっても暴力を伴うものではなく、酒を飲んで踊る競争、ピューマの皮を着る競争、青い貫頭衣や白いワラ(おそらく帯状の織物)を身に着ける競争などで、その一つに羽毛付き織物で着飾る競争もなされています。そこでは、次のように語られています。「…今度は、カサとカンチョというこの上なく上質の羽毛で着飾る競争だった。もう一度、ワティア・クリは父に相談に行った。父は彼に、雪の衣服を与えた。彼は、(その衣服で)あらゆるものの目を眩ませ、競争相手に勝利した」。
ここでもやはり、「カサ」と「カンチョ」という羽毛付き織物が出てきます。「父」とは、この地域の主神・パリアカカ山です。超大な力をもつその父が与えた、「雪の衣服」と形容される羽毛付き織物で目を眩ませて勝利したとありますので、強烈な煌めき・輝きをめぐる競争だったことがわかります。ケチュア語の「カサ」には、山の入り口や開口部、裂け目などの意味もあります。コラム1で述べたように、岩の裂け目・割れ目は「下の世界」(ウク・パチャ)に通じる場所でした。「カンチョ」(cancho)は辞書に収録されておらず、不明瞭です。仮に「カンチャ」(cancha)だった場合、やはり「輝き、きらめき、光彩、発光を得ること」といった意味合いをもちます。
「偉大な首長(apu[アプ])」・「男」・「家」・「リャマを所有」・「神のふり」などといった言葉から、あたかも人間のことが語られているかのように思えます。アビラも「論考」において、「 [空白] というインディオがいた」と、人間の話と捉えています(執筆時に名前を忘れたようで、空白が設けられていますが、そこに入るべき名前はタムタ・ニャムカです)。しかしアプ(apu)という語は、「首長」に転じられることがあるものの、山の神の総称の一つです。またワティア・クリは、主神・パリアカカ山の息子とされる山で、別の個所ではタムタ・ニャムカの娘も神として語られています。これはすべて、山・山の神々をめぐる話なのです。ほとんどの読者が混同・誤解してしまうのは、アンデスの人々が、山々・山の神々に人間と同等の特性を付与しているからにほかなりません。
したがって語られているその住まい・「家」とは、山の神々のいる場所つまり「下の世界」(ウク・パチャ)ということになります。アビラが、「不思議なことに/不思議なほどに」と捉えたのも無理はありません。ご存知のように、羽毛は光の当たり方次第できれいに輝くものです。アンデスの人々は、リャマやアルパカの毛、そしてそれらでできた織物をも輝きのイメージで捉えることがあります。
「下の世界」は、多彩な羽毛や多彩なリャマでいっぱいとありますので、いわば多彩性と輝きに満ち溢れた世界とイメージされているようです。その輝きは、山の神々の活力(カマック)・エネルギーの象徴の一つでもあるのです。よって、輝かしい羽毛付き織物「カサ」は、山の裂け目(「下の世界」への入り口)をも意味するのです。その裂け目や山から強い輝きが放たれることも、アンデスではよく耳にすることです。アンデスの山の神々には優劣があり、例外はあるのですが、基本的には標高の高い山が優位勢を帯びています。「神(dios)のふり」(”dios(ディオス)”は唯一無二のキリスト教の神を指します)とは、最も力のある山の神のふりといった意味で述べているのでしょう。語りの中の羽毛付き織物の輝きをめぐる競争は、山の神々の力・活力を競い合っているのです。
「タムタ・ニャムカ」も、実在する山です。ただし本当の名前は「タムタ・ニャウカ」で、書き留めた先住民書記の誤記と明瞭に判断されます。この「タムタ・ニャウカ」は、「古き羽毛」を意味します。ただし、山の名前に「羽毛」と付いているからといって、この山の神の世界のみが羽毛・輝き・多彩性に満ちているわけではありません。それは、アンデスのあらゆる山々・山の神々の世界のイメージに共通するものです。

「カサ」あるいは「カンチョ」という羽毛付き織物は、実際に墓から出土しています(写真2)。写真2の羽毛付き織物には、中央部に頭を通す穴・切れ目があるため、貫頭衣だったことがわかります。使用痕より、星型紋様のある方を胸側、多彩な格子紋様のある方を背中側にして纏われたことがわかります。おそらく祭祀・儀礼・踊りの際に身に付けられ、星型紋様の上のシミはチチャというトウモロコシのお酒をこぼした痕なのだろうと思います。目・顔も付されているこの星型紋様は、一見すると近現代的・西洋的にも思えるのですが、同様の装飾・特徴をもつ羽毛付き織物が複数出土しているため、偽物というわけではありません。
アンデスの人々の感性・感覚を考慮すると、この星型紋様はおそらく強い輝きを示していると思われます。そしてその中の顔・目は、輝き・活力(カマック)・豊かさに満ちた山の神なのでしょう。山の神々は、人間も含めて「この世界」(カイ・パチャ)をいつもじっと見つめているのです。みなが気遣い合いながら共に生きているのか、自分だけにとって都合のよいことをしている者はいないか、こうしたことなどが見られているのです。他者を気にも留めないような者は、必ずや山の神々に打たれ、ひどい仕打ちを受けるのです。
山の神々は、生きとし生けるものの公平性を好みます。上述した主神・パリアカカ山は、生まれたときに一つだけ規則を定めます。それは、「我々はみな共に生まれた」というものでした。その地域の存在すべてが家族といった意味にも取れますが、私には要するに動物も含めて他者・みなを気遣い合って生きるという約束事のように思えます。
私は、祭りに参加させてもらったことがあります。そこでは朝・昼・晩と三度の食事が提供され、通りすがりの人も含めて誰もが立ち寄ってお金を支払わずにいただくことができます。私は何だか恥ずかしくまた部外者であることの遠慮もあって、入口の端の方に一人で立っていました。すると、いつも誰かがやって来て「食べましたか」と尋ねてきます。「まだです」と答えると、「こっちに来て食べて下さい」と、親切にも私の腕を引いて中の方に連れていってくれるのです。私は、何と優しくてすばらしい人々だろうと思って感動しました。後で聞いた話ですが、人間の姿をとって山の神々も訪れることがあるのだそうです。
この経験とほぼ同じことが、「ワロチリ文書」の中に示されています。祭りの最中、みなが酒を飲んで自分たちだけ楽しく過ごしていました。そこにみすぼらしい人間の姿をした山の神がやって来て独りぼっちで端に立っていても、誰も気遣わず無視してしまいました。そこに一人の女性が、お酒を差し出しにやって来ます。山の神は、自身を気遣わなかった人々の態度に激怒し、土石流を起こしてその村を潰してしまいます。ただしその女性だけには事前に情報を与え、救っています。
「下の世界」は、当然のことながら真っ暗闇のイメージももたれています。矛盾しているようですが、それでありながらも強い輝き・多彩性そして暖かさと水を伴って捉えられてもいます。ならば、羽毛よりももっと直接的に光り輝くものが「下の世界」にあってもよいはずです。ホセ・マリア・アルゲダスというよく知られたペルーの作家・人類学者が、1956年に南部高地において、以下の語りを採取しています。
「…ワチョクは、昔の時代、まだ野蛮な人間の時代に属している。彼らは水を知っている者たちだった。彼らは、ワマニ(山の神)の懐まで穴を開けた。ワチョクは、水脈を通って奥へ歩いていき、水源そのものを知った。彼らは普通の人間ではない。水源がある深さまで入るために、いつも頭に黄金のティンヤ(おそらくティンティンと鳴る飾り物)を付けていた。彼らの衣服は、金製と銀製のもので、祭壇のように美しく眩かった。月や太陽の明かりも照らしていた。光り輝く金や銀のチョッキも身に着けていた。これらで山の懐に入ることができたのである…」。
この「ワチョク」は、共同体に水をもたらし、土地を与えた存在とも考えられています。アンデスの人々の思考において、与えたり生み出したりするのは山の神々です。しかしここでは、「ワマニ(「山の神」の総称の一つ)の心臓まで穴を開けた」とあり、あたかも山の神とは異なる存在であるかのような印象ももち得ます。上述した「ワロチリ文書」の語りを考慮に入れると、おそらくこの地域の主神と捉えられている山(カルワラソ山)を「ワマニ」と称し、その山の子などと捉えられている別の山を指しているのでしょう。現在この「ワチョク」は、キリスト教の影響で姦淫・(女性の)性的罪を意味します。しかし元々は、おそらく山の裂け目・割れ目と関わる意味合いがあったと考えられます。一方アンデスでは、地下性を帯びた超自然的存在・「文化英雄」的存在の語りも各地にあり、それぞれ固有の名称で呼ばれています。ただし、上記の語りからも明らかなように、上位にあるのはあくまでも山の神々です。その地下性を帯びた超自然的存在のみが、山の神々から切り離されて信仰対象になったり、個別的に祭祀・儀礼がなされたりするわけではありません。それらの存在は、「下の世界」に向かった死者・死者の集合体と深く関連しているように思われます。
語りにおいて、この「ワチョク」は、金製・銀製の頭飾り・装身具・衣服に身を包んでいます。一般的に「ティンヤ」(tinya)は、小さなタンバリン型のタイコを意味しますが、おそらくティンティン(tintin、日本語ではチンチン/チリンチリン)と音の出る金製の飾りのことでしょう。それらは、祭壇のように美しくそして眩しく、月や太陽の明かりをも照らしていたとありますので、その光・輝きが莫大な活力(カマック)・エネルギーと捉えられていることも再確認できます。さらに、たくさんの黄金・銀・光り輝くもので身を包んでいたから(=莫大な活力を伴っていたから)、山の心臓まで入れたという論理もみて取れます。
この語り・論理から考えると、スペイン侵入以前、人間と神々を媒介し、神々を呼んで話し聴き交渉し、時には山の神々を身体の中に乗り移らせるシャーマンが、金製品・銀製品・宝石類等の多くの輝くものに身を包んでいた意味が理解できるように思われます。また、彼らが死んで「下の世界」に旅立った後、山の神々と直接交渉することになると考えれば、シャーマンが儀礼道具に加えてたくさんの金製品・銀製品・宝石類(一セットとは限りません)等と共に埋葬される理由も浮かび上がるように思われます(写真3~6)。




資本主義社会において、黄金は貨幣的価値を帯びています。それが故に、黄金は税を集め大きな富・権力をもつ国王・領主(貴族)らと共に黄金のイメージが示されると、現代に生きる我々は理解・納得しやすくなります。しかしスペイン侵入以前のアンデスに、資本主義はありませんでした。もちろん金や銀が、貨幣・交換媒体の役割を果たしていた痕跡も一切ありません。アンデスにおいて、黄金その他の金属は、山の神々の所有物のなのです。
金や銀の出土パターンは、大きく分けて2つです。一つは墓の中、そしてもう一つは供物を埋め込んだ穴の中です。いずれも、土中(「下の世界」)ということになります。よって黄金の最終的な運命は埋められること、換言すれば山の神々の世界に届けること・捧げること・蓄えること・活力を増強させることと解釈することもできます。いつの時代にも死者は生じ、冶金術の発明以後は、金製品を埋める行為が繰り返されてきました。そして鉱物は、山の中に入って採取されるもので、その際には必ず儀礼もなされます。こうしたことを考えると、黄金を山の神々の所有物とする思考も理解可能となるでしょう。
羽毛と黄金、当然のことながらこの2つは異なる物質です。しかしアンデスの人々の考え方では、似た意味を持ち合わせていたのも確かなようです。実際に、金で羽毛をそのまま象形している遺物も出土しています。同様に、金製(金メッキを含む)・銀製の頭飾り等には、羽毛を模した装飾が少なくないようです(写真5)。遺骸に金製マスクを付し、羽毛飾りを頭にのせた遺骸も出土しています(写真7)。現在でも、祭祀において、多彩な羽毛の頭飾りを被って踊られる村々もあります(写真8)。「下の世界」、死者・祖先・山の神々の世界と呼応し合っているのです。

