山の神々の姿(1)―[アンデス・コラム3]

文明学科教授
大平秀一

 民族誌、歴史文書、遺跡・遺物等を通して先住民の思考に触れると、アンデスの山の神々は実に多様な動物の姿をとることがわかります。「ワロチリ文書」(1608年頃)の語りにおいて、ある山の神はハヤブサの卵から生まれています。20世紀半ば頃の語りでは、シャーマンが山の神々を呼ぶと、必ずハヤブサの姿をとって現れるそうです。独自の声を持つという山の神々がやって来て最初に行うのは、シャーマンを鞭打つことだといいます。そして、そのひどい仕打ちを謙虚に受け入れられるかどうか答えるよう、求めてくるのだそうです。

 スペイン侵入以前の物質文化には、杖やこん棒・棒状のものを手にした神々と思わしき存在が示されています(写真1)。杖や矢など長い棒状のものは、スペイン語で「バラ」(varan)といいます。これをケチュア語化させ、「杖をもつ者」という意味にした「バラヨク」(varayoq)という言葉があります。現在では、村や共同体の代表者や祭祀を司る人等が、その名で呼ばれます(資料画像1)。実際に杖を象徴的に手にし、その役を交代するときには次の人にその杖が渡されます。よって杖を「権力の象徴」と捉える欧米の研究者もいますが、決して権力を振りかざすようなことはしません。重要なことは、全体をよく見渡しながら皆を代表して責任を全うすることです。杖や棒状の道具をもつ山の神々は、宇宙の「バラヨク」なのでしょう。
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写真1 ティワナク遺跡、「太陽の門」

 山の神々は、杖に加えて鞭や石投げ縄(オンダあるいはワラカと呼ばれます。家畜を鞭打つ時にも使用されます)をもつ場合もあります。おそらく、その鞭を象ったと思われる金製品も出土しております(写真2~4)。神々の衣服・装身具・道具が、すべて金製・銀製であるという語りを考慮に入れると(コラム2)、こうした遺物・物質文化が作成された意味も理解できるように思います。現代の村々・共同体の祭祀でも、尻を鞭打つパフォーマンスがなされ、私も鞭打たれたことがあります。決して恐ろしい雰囲気ではなく、笑いに満ち溢れた楽しい時空間です。かなり古い観念が継承されているように思われる日本の祭でも、お面を被り別の世界から来た存在が、人々の尻を叩くパフォーマンスがなされます。本当に、アンデスとそっくりだと感じます(資料映像1)。
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写真2 オンダ(インカ時代、東海大学文明研究所所蔵)
写真3 オンダを振り回すインカ王(ワマン・ポーマ・デ・アヤラ[1613頃])
写真4 鞭を象った金製品(モチェ文化、Museo Larco -Lima, Perú)

 「ワロチリ文書」には、山の神がメンフクロウの姿をとる語りもあります。「一人の男が、夜トイレに行った際、昼間の太陽の輝きを発し、目を眩ませる銀の皿のように悪魔(山の神)が目の前に現れた。彼が逃げる途上で9回輝いた。その悪魔(山の神)は、自分の耳飾りで『チョイ』と音を出し、家を揺るがした。そしてキリスト教の祈りを捧げると、その悪魔(山の神)はまた家を揺らし、『チョイ』と叫んでメンフクロウの姿をして外に出ていった」(要約[神父の前で良きキリスト教徒であることを示すため、自らの信仰対象を「悪魔」と称しており、また「キリスト教の祈りを捧げる」と述べられています])。
 実際に、森でメンフクロウを見たことがあります。何か視線のようなものを感じ振り返って見た記憶があります。人間のように丸い顔をし、大きな目でじっとこちらを見つめています。枝に止まっている姿をみると強烈なインパクトで、あの顔と目に山の神々の眼差しを感じ取ることがよくわかるようにも思います。夜なら、なおさらでしょう。この鳥の鳴き声は、確かに「チョーイ」といった具合に聞こえます。メンフクロウは、土器等に多く表象される動物の一つでもあります(写真5~6)。それは、メンフクロウの形を呈しているのですが、作り手としては山の神々を表現しているのでしょう。

写真5 メンフクロウ(モチェ文化、Museo Larco -Lima, Perú)
写真6 メンフクロウ(モチェ文化、Museo Larco -Lima, Perú)

 ハヤブサ(ワシ・タカ・コンドル)もフクロウも猛禽で、ピューマをはじめとする猫科動物、ヘビなどの強い動物と同様、他の生き物を食べます。みな鋭い目、鋭い牙あるいは爪をもっており、山の神々が送られた供物を食べるイメージと重ねられたのかもしれません。これらの強い動物は、山の神々そのものとして図示されているように思われます。古い時代には、身体の一部(目・牙・爪)を様式化した図が多くみられます。その後の時代には、動物そのものが示されるようになります。それらの歯・牙・目は、闇の中の輝きとして意識されたのでしょう。図像では、それらの部位が常に強調されています。シャーマンが、山の神々を呼ぶとそれらの動物の姿をとって身体に入ってくる/乗り移ってくる、そういう場面を表象したと考えられる図像も、認められます(写真7~8)。

 一方で山の神々は、必ずしも強いというイメージを伴わない動物とも一体化して示されることがあります。ペルー北海岸のモチェ文化の物質文化には、カニ・イセエビ・ストロンブスという大きな巻貝(食用のほか、「プトゥトゥ」と呼ばれる「ほら貝」状の気鳴楽器が製作されます)などの海洋生物にいたるまで、神々と一体化しています(写真9~12)。ストロンブスから上半身を出している神は、2本の杖に加えて鞭をもっていると思われます。イセエビやカニは、水死体も含めて、両手(ハサミ)をせわしなく動かして何でも食べると聞きます。お腹がすいてガツガツと食べたがる山の神々が、そこに投影された可能性もあろうかと思います(コラム4参照)。カニやイセエビのハサミ・爪のギザギザは、おそらく歯・牙のように捉えられ、同様の意味・象徴性が付与されていたようです(写真13)。

写真7 シャーマンに乗り移る山の神(クピスニケ文化、Museo Larco -Lima, Perú)
写真8 シャーマンに乗り移る山の神(モチェ文化、Museo Larco -Lima, Perú)
写真9 カニと一体化した山の神(モチェ文化、Museo Larco -Lima, Perú)
写真10 カニと一体化した山の神(モチェ文化、Museo Larco -Lima, Perú)
写真12 カニあるいはイセエビの爪(モチェ文化、Museo Larco -Lima, Perú)
写真11 イセエビと一体化した山の神(モチェ文化、Museo Larco -Lima, Perú)
写真13 ストロンブス貝と一体化した山の神(モチェ文化、Museo Larco -Lima, Perú)

 高地と同様に、海岸部でも信仰対象は基本的に山々と考えてよいと思います。例えば、ペルー北海岸トゥルヒーリョのシャーマンは、セロ・ブランコ(「白い丘」の意)という山を最初に呼びます。そのセロ・ブランコの麓には、モチェ文化(0~700頃)の主要神殿の一つワカ・デ・ラ・ルナ(月のワカ)という神殿・祭祀センターが配されています(写真14)。

写真14 ワカ・デ・ラ・ルナ遺跡とセロ・ブランコ山(モチェ文化)

その神殿の内部には、時に”Ai-apeac”(アイアペアク、アイアペック、アイアペウク)というニックネームで呼ばれることもある神の表象が壁に多く描かれています(写真15。1644年のユンガ語[モチーカ語]文法書兼キリスト教の告解・祈りの手引書の中で、祈りの言葉の「全能(者)」にaiapæcというユンガ語があてられています。20世紀になって、モチェ文化にキリスト教のように絶対神がいるとイメージされ、この語を借用してその神の名称としたにすぎません)。これは、おそらくセロ・ブランコ山という山の神の表象なのでしょう。

 海上の小さな島でも、祭祀・儀礼を行っていたことが考古学的に確認されています。コロンビアとエクアドルの国境付近からペルー北海岸にいたるまで、儀礼的意味をもつムユという二枚貝の採取地を確認するため、土着の潜水夫を探し出して聞き取りを行ったことがあります。この貝は、山の神々の大好物としても語られており、供物として捧げられるほか、ネックレス(ビーズ)等の装身具もたくさん製作されています(写真16~17)。潜水夫の話に何度も耳を傾けていると、海の中の様子を感じ取れるような気がしてきます。我々は、海に浮かぶ小さな陸を「島」と呼びます。ところが、海底の地形をイメージしてみると、島は山にほかならないのです。彼らによると、島の周囲はまさに生物多様性(食物)の宝庫なのだそうです。山(島)の存在がそれを支えているという観念は、生まれて当然でもあり、それがゆえにそこが祭祀・儀礼の場となってきたのでしょう。

写真15 セロ・ブランコ山の神の表象(あるいは”Ai-apeac”)
写真16 ムユ(スポンディルス貝)
写真17 ムユ製ビーズの胸飾り(モチェ文化、Museo Larco -Lima, Perú)

 山の神々は、動物ばかりでなく、トウモロコシ、トウガラシ、ジャガイモ、カモーテ(サツマイモ)、落花生、果物等、多種多様な作物・植物とも一体化して示されることもあります(写真18~19)。農作物・植物を育てた経験があれば、実際に不思議な力・神秘的な力を感じたことがあるでしょう。光合成・土壌成分等、西洋科学の知識はそれなりにわかっているのですが、実際に手で触り育ててみると、どうしてもその力を感じてしまう。それを書き残すことや口に出して人に言うことは稀であっても、誰もがそれを感じ取ってきたはずです。日本各地で多様な祭が継承されてきたのは、その証・名残といってよいでしょう。

写真18 トウモロコシと一体化した山の神(モチェ文化、Museo Larco -Lima, Perú)
写真19 トウガラシと一体化した山の神(モチェ文化、Museo Larco -Lima, Perú)

 アンデスでも、生きとし生けるものには山の神々の力・活力(カマック)がおよんで生まれ育つと捉えられていますので、動物・植物を問わず、神々と一体化させられた表象が残されるのでしょう。先住民世界あるいは中世以前の世界は、現代とは真逆の順序でものごとを捉えているように思われます。細やかな「部分」を先に捉えるのではなく、まずは山の神々・祖先・死者を中心に据えた宇宙全体を捉え、個々の「部分」がその全体と連動・連関し合う、そういう思考をしているようです。物質文化に残された表象には、こうした思想・思考が反映されているように私には思えます。「我々はみな一つから生まれた」という山の神の定めた規則(コラム2参照)は、おそらくそれを意味しているのでしょう。

 風・降雨・洪水・降雹・雷(稲妻)・虹・地震・噴火・土石流・地盤沈下・津波等、自然現象・災害も、すべて山の神々の力・活力(カマック)によって生じるものです。例えば、虹は一つの泉(川)から発し、別の泉(川)に沈むとも捉えられています。泉(川)は、多彩性を伴う「下の世界」に通じる場所でした(コラム2参照)。虹は、雨季に生じる現象です。よって、雨季に山の神々の活力(カマック)が増強し、その要素(多彩性)が勢い余って地上に飛び出し、また「下の世界」に沈んでいく、虹はこうした感覚で捉えてよいと思います。因みに、虹が出ている時に放尿することはタブー(禁忌)となっています。神々の力の染み出た大地と身体が尿を通じて繋がり、病気になるからです。女性は、神々の子を身ごもることすらあるといいます。

 アンデスの人々と話していると、にわかには信じられないようなことを耳にすることがあります。「バーニョ・デル・インカ」というインカの水をめぐる施設を見つけ、調査していたときのことです。方形の水溜のような施設が2つ並列されていたのですが、どういうわけか一方は高さ10mほどの崖のエッジ部分にあり、構築物の半分が失われていました。土地主と話していると、そこは元々平らな場所で、ある日夜中にドンというすごい音がして激しく揺れ、次の日に行ってみると100m以上の幅で大地が沈み込み、崖ができていたというのです。適当な話だと思って笑いながら聞いていると、彼の娘さんも加担してきて、子供の頃は2つあった水溜をプールにして泳いで遊んでいたと言います。念のために崖の下方に行ってみると、驚くべきことに、水溜の半分の痕跡がそのまま残されていました。日本で生活していると、一世代の内に地形が変わることなど想像もできません。山・大地は、確かに生きているかのように捉え得るのでしょう。

 スペイン人が書き残した歴史文書ではありますが、インカの石壁から石が飛び出てきて挨拶をするとか、血を流す石、歩いてやって来て疲れて動けなくなった岩など、石や岩をめぐる多様な話が書き残されています。遺跡に目を向けると、石や岩に特別な意味が付与されていたことは疑問の余地がありません。我々にとって、石や岩はただの無機物なのですが、それは時には柔らかく、また暖かいものと捉えられることもあるようです。実際に、柔らかさを示しているかのような石積みも認められます(写真20)。暖かさは、「下の世界」(ウク・パチャ)の要素の一つでもあります。岩が、下の世界と繋がっていると捉えると、その感覚が生まれ得るのでしょう。海岸部も含め、岩や石に儀礼を行っている痕跡は多く確認されています(今でもそうです)。おそらく、「下の世界」に繋がっている感覚があるのでしょう。

写真20 マチュピチュ遺跡・トレオン下方の石積み(インカ時代)

 水路の脇や畑の中の岩も、山の神々への儀礼がなされる場となっています。その岩には加工が施されており、かつてはすべて名前が付されていたのだろうと思われます(その一部を継承している村々もあります)。石や岩は、人工的に多様な形に成形されています。中には、岩が真っ二つに割れたかのように成形されているものも少なくありません(写真21)。その割れ目から、水・豊かさが噴き出てくるようなイメージがもたれていたことは確かだと思います。インカ時代のトウモロコシ畑の調査を通して、その岩の周りに水路が引かれており、かつてその周辺は湿った状態を呈していたと判断されます。

 別の場所でも、広大なインカの畑地を見つけたことがあります。四角く整えられた巨大な岩が、真っ二つに割れているように成形されていました(写真22)。その付近を調べていると、付近の人が自分の家の周りにもあるというので行ってみると、巨大な岩が見事に真っ二つに割れていました。彼は説明を始め、子供の頃、すごい音と共に雷が落ちて、外に出てみると真っ二つに割れていたというのです。「そんなこと、あるはずないでしょう」と言うと、「何を言うんですか、弟・家族も一緒にいて見ているんです。本当のことです。元々は一つの岩だったのです」、と真剣に説明してきます。わずかな知見により、ものごとを見ている自分を恥じました。よく考えてみると、おそらくこうした自然現象に何度も触れているインカの人々が、山の神々の力・要素(雷)を表象するために、石や岩を意図的に割れたように成形したのだろうと思うのです。アンデスの人々は、稲妻が光った瞬間にキノコがピョコと飛び出すように生えてくると皆が言います。その光は、特別な力をもつと捉えられているのです。

 「ワロチリ文書」(1608年頃)には、地震に関する語りもあります。「彼(山の神)が怒ると大地が揺れる。時には、顔を一方から他方へ動かすと大地が揺れる。だから顔は絶対に動かさない。もし体全体が動いたなら、この世界は終わってしまうだろう」。私が日本人であることから、アンデスの村々に滞在していると、2011年の東日本大震災のことをよく尋ねられました。学校教育を受けている村の少年と話していた際、日本の巨大地震もやはりアンデスの山の神々のせいかという話題になりました。すると、「この辺りの地震はみなそうです。でも、インターナショナルな大きい地震は違うと思います」、はにかみながらそう言っていました。

写真21 割られたように成形された岩(インカ時代、ラ・ソレダー遺跡)

 スペイン人の記録では、「ワカ(huaca)」という言葉が、土着の神や信仰対象を指して用いられています。ただし本当にその意味があったわけではなく、スペイン人が一方的にそう理解したにすぎません。その理解の影響もあり、この「ワカ」が遺跡の名称に付されている事例も多く認められます(写真13)。しかしそれらが、オリジナルの名称だったわけではありません。「ワカ」というケチュア語は、荒々しい様態を意味する言葉です。例えば、ちょっと素行不良の若者・人がその名で呼ばれることもあります。つまりこの言葉は、通常の様態・秩序を逸脱している存在を指す際に用いられるように思います。超大な力をもつ山の神々は、噴火や地震・土石流など、何をしでかすかわからない存在でもあります。この意味で、「ワカ」は山の神々の様態の一部を形容し得る言葉だったのでしょう。日本の「荒ぶる」神、と同様のニュアンスで捉えてよいように思います。

 岩手県の三陸地方では、津波が「よだ」と呼ばれていました。「よだきた(よだが来た[=津波が来た])」などと表現されるようです。岩手は私の故郷でもあるのですが、この言葉に見合う方言は思いつきません。おそらく、「与太者」の「与太(よた/よだ)」のことではないかと思うのです(お話をうかがって確認する必要があります)。「与太者」は、やはり通常の様態・秩序から外れたような行動・言動を取る者です。少年期に、むくれて悪態をつくと、「この、よだっこ」と親に叱られたことがあります。津波は、すべてを破壊しますので、まさに通常の様態・秩序から外れたものです。当然、かつては背後に神観念がもたれていたのでしょう。

写真22 割られたように成形された岩(インカ時代、サンフェルナンド)

アンデス・コラム1 「『マチュピチュ』とアンデスの精神世界」
アンデス・コラム2 「羽毛・黄金・アンデスの山の神々」
アンデス・コラム3 「山の神々の姿(1)」
アンデス・コラム4 「山の神々の姿(2)」