東海大学特別企画セミナー「パラリンピック――その軌跡と役割~新発見 パラリンピックのルーツは『箱根』にあった!~」を開催しました

湘南キャンパスで6月12日に、第一回東海大学特別企画セミナー「パラリンピック――その軌跡と役割~新発見 パラリンピックのルーツは『箱根』にあった!~」を開催しました。1964年の東京パラリンピックには、日露戦争により手足を失った傷病兵を収容するために建てられた「箱根療養所(現:箱根病院)」の入所者から多くの選手が送り出され、卓球、水泳、フェンシング、重量挙げ、洋弓などで銀メダル4個、銅メダル3個を獲得しました。今回のセミナーは、2020年に開かれる東京オリンピック・パラリンピックに向けた五輪のレガシーとして、多くの方に受け継がれていくことを願って企画。64年の東京パラリンピックに関する番組を制作した日本放送協会横浜放送局放送部総括副部長(報道)の花岡信太郎氏を講師に迎えました。

当日は、学生や教職員ら約700人が参加。開会のあいさつでは、山田清志学長が「来年いよいよ東京でオリンピック、パラリンピックが開催されます。今日は多くの学生や教職員が足を運んでくれたことを見ても、注目度の高さを感じています。本学では付属校も含めてさまざまなオリンピック教育を推進しており、今回のセミナーもその一環です。今後もパラリンピックの運営に携わった関係者や選手の方々を招いて特別企画セミナーを開催したいと考えていますので、ぜひオリンピックとともにパラリンピックへの理解を深めてください」と話しました。

花岡氏は、64年の東京パラリンピックについてまとめた貴重な映像を流して当時の様子を説明。「63年に翌年の東京オリンピックに合わせて初となるパラリンピック開催が決まったものの、日本にはまだ障がい者スポーツが普及していませんでした。代表選手がなかなか見つからない中で、日本政府が白羽の矢を立てたのが箱根療養所の入所者の方々。しかし番組の取材を通じて、通達があったのが開幕までわずか4カ月前だったことをはじめ、自身が障がいを負っていることを周囲に知られることに抵抗がある患者も多く、参加に前向きではなかったとわかってきました。一方で、選手たちは各種目の練習を重ねる中でやりがいを感じ、生き生きとスポーツと人生を楽しむようになっていったことも明らかになっていきました」と紹介しました。

最後に花岡氏は、「パラリンピックに携わった関係者の話を聞く中で、“バリアフリーをはじめとしたハード面は54年前と比べて格段によくなかった。しかし、障がい者に対する人々の思いや感情は大きく変化をしていないのではないでしょうか”という言葉がとても印象に残っています。この言葉を聞き、東京パラリンピックは私たちの障がい者に対する眼差しが問われているのだと感じました。20年のパラリンピックがゴールではなく、誰もが住みやすい社会を目指す一歩になってほしい。皆さんも今日の話を聞いて、その社会が実現するためにできることを一緒に考えていきましょう」と語りました。

参加者からは「スポーツが生きる喜びにつながっていることを実感しました」「東京パラリンピックを見るのがとても楽しみにもなった。何らかの形で携わりたい」といった声が聞かれたほか、学生が花岡氏に、「障がい者スポーツがさらに身近な存在になるためにはどのような取り組みが必要なのでしょうか」「さまざまなニュースを報道する中で大切にしていることは何ですか」といった質問をする姿も見られました。

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