この人インタビュー

立見里歌さん

タレント/編集者/プロデューサー

(1987年3月東海大学政治経済学部政治学科卒業)

寝る間もなかったアイドル時代も
つねに「本業は大学生」と自覚

 1985 年に結成され、一世を風靡したアイドルグループ「おニャン子クラブ」。立見里歌さんがその一員になったのは「偶然が積み重なった結果」だという。

 きっかけは、大学1年次のアイドルキャンパスコンテストだった。各学部から代表者を出す決まりだったが、当時、政治経済学部の女子学生はほんの数名。先輩から半ば強引に頼みこまれ出場したところ、思いがけず優勝を果たした。

 その日から、立見さんの大学生活は激変した。コンテストの翌日には、ミス東海大学としてフジテレビの深夜番組「オールナイトフジ」に出演。その日限りのつもりがレギュラーメンバーに抜擢され、継続的にテレビに出演することになった。「正直なところ、自分で何かを選択したというよりも、大波に押し流されるように芸能界に入ることになりました。ただ、私は責任感は人一倍強いタイプ。どんな仕事でも、とにかく責任をもってやり切ろうと思っていました」

 番組は翌3月に終了したが、一息つく間もなく、2カ月後にはおニャン子クラブのオーディションに合格。メインボーカルを務めた曲でオリコン1位を獲得するなど、またたく間に人気メンバーとなった。テレビ出演やレコーディング、各種取材など多忙を極める日々だったが、「どんなときでも自分の本業は大学生だと思っていた」と、立見さんは振り返る。「私の父は破天荒な人だったので、同じような人生を歩みたくない、自分の人生は自分でという気持ちが強かったですね。だから、卒業後は企業に就職すると決めていました。芸能活動も学業もどちらも大切なことでしたが、優先順位の一番目は大学生活。どんなに忙しくても、できるかぎり登校して授業を受けました」

アイドル時代の立見さん(写真右端)。
授業後はテレビ局へ直行し、夕方の生放送番組に出演していた。

これまでのキャリアの集大成として念願の自然派化粧品をプロデュース

 当時、芸能活動は大学までと決めていた立見さん。卒業後は株式会社ポニーキャニオンに就職し、営業や宣伝の部署で活躍した。結婚・出産を機に退職し、しばらくは専業主婦として子育てに専念、子どもの小学校入学を機に仕事復帰を決意。再就職した広告代理店では、長きにわたって雑誌や書籍の編集にも携わった。

 社会人として、母として、全力で走り続けてきた立見さんが、ふと立ち止まったのは50歳のとき。「子供が一人暮らしを始めて、母親としての責任から少し開放されたら、もう自由に生きてもいいんだなぁ〜と感じた」という。「ちょうどその頃、ファンの人たちが開催してくれた『おニャン子クラブ解散30周年記念ライブ』に軽い気持ちで参加しました。たくさんのファンの方々が、当時と変わらない情熱で応援してくれて……。幸せな人生だなと、あらためて思い感動しました。私もこの感謝を、これからの人生少しでも皆さまに返していきたいと思うようになったのです」

 自分の経験を活かし、何か社会に貢献できることはないか――。そう考えたとき、リアルに思い浮かんだのは「化粧品」だった。「私は30歳頃からひどい肌荒れに悩まされ、スキンケアには本当に苦労しました。自分に合う化粧水が見つかっても、高価すぎて使い続けるのを諦めたこともありました。そこで、同じ悩みを持つ人のためにも、リーズナブルで身体に優しいスキンケアを作ってみようと考えたのです」

 編集業や広告代理店業などの仕事を通じて、化粧品や医薬品に精通していた立見さんは、その知識や人脈を活かし、無添加化粧品「イポラニ」を完成させた。「イポラニはビジネスというよりもライフワーク。これで儲ける気はあまりありません。社会貢献のつもりでプロデュースしています。自分や家族が安心して使えて、男性にも女性にも子供や大人にもいいものを作れたら幸せですね。今後は他の仕事も含め、信頼できる仲間と好きな仕事をしていきたいと思っています」

Profile

1965年生まれ。東海大学附属相模高校から東海大学政治経済学部政治学科に進学。1年次よりフジテレビの『オールナイトフジ』に出演し、番組卒業後はアイドルグループ「おニャン子クラブ」に加入。4人組ユニット「ニャンギラス」としてオリコン1位を獲得するなど中心メンバーとして活躍した。卒業後は株式会社ポニーキャニオンに入社し、営業や宣伝を担当。現在はプロデューサー・編集者・タレントと多才に活躍する傍ら、念願であった無添加コスメ「イポラニ」をプロデュースしている。
[イポラニオフィシャルサイト]https://www.la-ipolani.com/