北欧学科教員エッセイ:アイスランドの中世と北欧神話(松本涼准教授)

アイスランドのフィヨルド(松本撮影)

こんにちは、松本涼(まつもと・さやか)と申します。ご挨拶が遅れましたが、2025年4月に北欧学科に着任しました。どうぞよろしくお願いします。私の研究テーマは中世、なかでも13世紀のアイスランドの歴史です。アイスランドは北極圏に近い北大西洋に浮かぶ島国で、9世紀までは無人島でした。この島は、ヴァイキング時代(750~1050年頃)にスカンディナヴィアの人々によって発見され、870年頃から930年頃にかけて、主にノルウェーから400家族ほどが移り住んだことで歴史が始まります。私は大学で卒業論文を書くときにアイスランドと出会い、それ以来20年ほど、この島国の歴史を研究してきました。

さて、「アイスランドの中世」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。「よくわからない」という人も多いかもしれません。しかし実は、私たちは思っている以上に、身近なところで中世アイスランドの文化と出会っています。それは、北欧神話やファンタジー作品を通してです。

フラーテイ島のヒツジ(松本撮影)。アイスランドでは植民当時から現在まで牧羊が盛ん。

北欧の人々は、地域差はありますが、10世紀から12世紀にかけて、少しずつキリスト教に改宗していきました。北欧神話とは、それ以前の時代に人々が信仰していた神々についての物語のことです。最高神オーディン、雷神トール、豊穣神フレイ、そしてトリックスターのロキ……これらの名前を、ゲームやマンガ、映画などで見たことがある人も多いのではないでしょうか。こうした北欧神話について、もっとも詳しく伝えてくれるのが、13世紀のアイスランドで書かれた2つの書物、すなわち『詩エッダ』と『散文エッダ』です。

『詩エッダ』は、神々や英雄について語った古い詩を集めたものです。一方、『散文エッダ』は、1220年頃にスノッリ・ストゥルルソンというアイスランド人が書いた、詩の作り方を解説する入門書です。当時の北欧の詩には「ケニング(代称法)」と呼ばれる表現技法がよく使われていました。ケニングとは、たとえば「戦い」と言いたいときに「槍の嵐」と言うように、別の言い方で表現する方法です。「槍の嵐」=「戦い」はなんとなく想像がつくかもしれません。では、「狼の敵」は何を指すでしょうか。

これは、最高神オーディンを意味しています。というのも、北欧神話の終末の戦い(ラグナロク)において、オーディンは巨大な狼フェンリルに呑み込まれてしまう運命にあるからです。このように、当時の詩を正しく理解するには神話の知識が不可欠でした。そこでスノッリは、若い詩人たちが神話の知識を忘れないように『散文エッダ』の中で神話の物語を丁寧に解説してくれたのでした。

北欧神話に登場する神々や武器の名前、あるいは世界樹ユグドラシルといった言葉は、現代のゲームやマンガ、アニメなどにしばしば登場します。しかし、もし13世紀のアイスランドでスノッリが『散文エッダ』を書き残していなかったら、こうした神話の多くは、今日まで伝わらなかったかもしれません。北欧神話が好きな人は、ぜひ800年前のアイスランドに思いを馳せてみてください。

『エッダ』については、今年2月に新しい翻訳書『【完全版】エッダ─古代北欧歌謡集─』(谷口幸男/訳、伊藤尽/監修、小澤実/監修、新潮社)』が発売されます。本書は1973年に新潮社から出版された『エッダ―古代北欧歌謡集―』の復刊ですが、旧版には含まれていなかった『散文エッダ』の一部(「序文」「詩語法」「韻律一覧」)の訳も収められています。『詩エッダ』と『散文エッダ』の両方が一冊にまとまった翻訳書は世界的にも珍しく、貴重な「完全版」と言えます。

中世のアイスランド人は、エッダ以外にも多くの書物を書き残しました。なかでも有名なのが「サガ」と呼ばれる散文の物語です。「サガ」という言葉はもともと「語られたもの」を意味し、アイスランド社会で起きた復讐や争いの経緯から、ノルウェーやデンマークの王の伝記、さらにはグリーンランドから北米大陸に向かった冒険譚まで、さまざまな内容が含まれています。私はこれらのサガを読むことで、昔のアイスランドや北欧の社会の仕組みや、そこに生きていた人々の価値観や思想を明らかにしたいと思っています。サガについては、谷口幸男先生の翻訳を私が監修して復刊した『【新版】アイスランド サガ』(新潮社、2024年)』もありますので、興味のある方はぜひ手に取ってみてください。おすすめは、愛と憎しみが複雑にからみ合う復讐劇が描かれた「ラックサー谷の人びとのサガ」です。

このように、アイスランドの中世は、後世にも影響を与える文化遺産を生み出した、とても活気に満ちた魅力的な時代でした。現在は文献だけでなく、考古学の発掘調査や自然科学の研究成果なども駆使して歴史の探究が続けられています。こちらの記事も合わせてご覧ください。

「北欧学科で特別講義「ヴァイキング時代のアイスランド:発見と植民」を開催しました」2025.12.05掲載記事