学科教員リレーエッセイ㉒ 飯塚 浩一 教授「留学のすゝめ」

 近年、学生にとって留学はそれほど敷居の高いものではなくなっています。でも、私が学生の頃(今から40年ほど前)は、留学というのは、将来研究者を目指す人で、語学が優秀で、かつ経済的に余裕がある一部の人がするものだと思っていました。

 ところが、東海大学に就職する際、当時の学科長の先生から「研究休暇の制度を使って、2~3年のうちに海外へ行って勉強すること」を採用の条件として提示されたことから(今ではあり得ないことです!)、1992年4月1日から英国スコットランドのスターリング大学へ訪問研究員として派遣されることになりました。と言っても、当時はインターネットなどありません。先方の大学にどうやって受け入れてもらえば良いのか、そもそも住む場所はどうするのか、何を食べて暮らせばよいのかなど、まったくの手探り状態でしたが、偶然、親切な人が現れて助けてくれたりしたおかげで、今までの人生でもっとも意味のある1年間(正確には11か月と3日間)を過ごすことができました。

 で、何をしていたかと言うと、最初の1か月間は大学付属の英語学習センター(大学の敷地内に古いお城があり、その内部が改修されて教室になっていました)に通いながら、スターリング大学日本研究所の一室(同大学の副学長兼日本研究所長さんが、初対面の私に「使っていいよ」と研究室のカギを渡してくれました)に居座って、窓の外で草を食んでいるウサギたちを眺めていました。とは言え、せっかく留学させてもらったので、同大学のフィルム&メディア研究学科の授業に出席していたのですが、そのうち、研究所の職員が不在時に電話番をしたり(英語で!)、グラスゴー大学の大学院生の修士論文の指導(テーマが日本の放送制度だったので)を頼まれたり(英語で!)、学内のラグビーの試合に参加したり(脳震盪で退場!)、大学付属のゴルフ場でゴルフをしたり(時々、隣の牧場から牛が迷い込んできて追い回されました!)するうちに、日本研究所の先生(英国人)の身の上相談まで受けることになりました(その先生には、クリスマスに「あなたはどこへも行くところがないんでしょう?」と自宅に招いていただきました)。

 他にも数え切れないほど色々なことがありました。もちろん、勉強もしたのですが(それが現在の英国メディア史という私の専門につながっています)、なによりも、問題を一つ解決するごとに、少しずつ自分が周りの環境になじんでいく感覚が今も懐かしく思い出されます。みなさんも機会がありましたら、是非、異文化体験を楽しんでください!

※下記は、私がいた研究室の窓から撮ったウサギたちと、私が住んでいた部屋が入っている建物(右から2番目の建物、2階右側)の写真です。