学科教員リレーエッセイ㉓ 岡田 章子 准教授「原稿用紙というメディア」

 誰もが実感するように、昨今のメディアは加速級数的な変化を遂げ、ついにはAIが気軽に使えるチャットGPTなるものまで登場し、注目を浴びています。しかし、目を見張るようなメディアの変化も、渦中にいるときには、案外、それと気づかないものです。
 思えば、90年代に雑誌編集者をしていた私は、このデジタル革命の第一歩を経験していたのだ、としみじみと実感するようになりました。
 私が91年に編集部に入って最初にした仕事は、倉庫に山と積まれた雑誌のロゴ入り原稿用紙を執筆者に送ることでした。雑誌ごとにロゴの入った原稿用紙がある、ということをそこで初めて知りました。先輩いわく、「だって、ほかの社や雑誌の原稿と間違えられたら困るでしょう」。なるほど。ロゴ入りの原稿用紙に、初めて自分で文章を書いたときも、なんだか、とてもわくわくしたことを覚えています。
 ところが、97年に会社を辞める時に、ふと気づいたのは、すでにロゴ入り原稿用紙がなくなっていた、という事実です。そう、もはや原稿はフロッピーディスク(と言われてわかる若い世代の人はほとんどいないと思いますが)でもらうことが当たり前になっていました(まだメールはありませんでした)。
 90年代の半ばには、編集者に一人一台のMacが配置されましたが、最初はデータが消えたりフリーズしたり、いちいち大変な騒ぎでした。しかし、慣れてしまえばDTPのほうがずっと効率的。私が経験した原稿用紙からDTPへの変化は、大げさに言えば、15世紀のグーテンベルクの発明以来、500年以上続いた活版印刷の終焉でした。
 さて、私の担当している「文章表現」の授業では、毎週原稿用紙で課題文を書いてもらっています。その理由は、字数の感覚を身に着けてもらうこと、そしてこれが文章を手書きする教育の最後の機会だからです。デジタル化の時代だからこそ、「手書き」は特別な意味を持ちます。私用でもビジネスでも、どうしても読んでもらいたいものは、手書きすると「心のこもったもの」と受け止められるでしょう。そのせっかくの手書きが、誤字脱字だらけ、拙い文章では効果半減です。
 今や完全にオールド・メディアと化した出版を専門としていますが、めまぐるしく変わるメディア環境にいるからこそ、古いメディアがどのように発展・変化してきたのか、を問うことに意味があると考えています。また、学生の皆さんの中にも「紙」にこだわりを持つ人が案外いるものです。
 ところで、過日亡くなった海野弘氏(評論家・作家)https://www.unnohiroshi.com/の直筆原稿を編集者時代の宝物として所蔵しているのですが。懐かしくなって、取り出してみたところ、なんと、他社の原稿用紙に書かれていました。先の先輩の言葉は一体・・・。ちなみに、当時週刊、月刊合わせて10本以上連載を抱えていた海野氏でしたが、原稿の中身を間違えられたことは一度もありませんでした。

筆者が編集者時代に実際使っていた原稿用紙と
先輩に習った編集の仕事のファイル
夏目漱石が『大阪朝日新聞』のために使っていた原稿用紙
(神奈川近代文学館蔵)