広報メディア学科の水島研究室が伊勢原市平和啓発事業の運営に協力しました

文化社会学部広報メディア学科の水島久光教授の研究室が、8月25日から27日まで伊勢原市民文化会館で開催された「平和を祈念するパネル展示 語り継ごう 平和の尊さを」の運営や展示パネル制作などに協力しました。同市では1993年に制定した「伊勢原市平和都市宣言」に基づき、恒久平和、核兵器廃絶の理念を広く市民に啓発し、理解を促進するため、平和啓発事業を推進しています。水島研究室では、戦後70年の節目を控えた2014年から「記録をどう扱い、どのように継承していくか」をテーマに同事業に協力。市内に住む戦争体験者へのインタビュー映像の制作や、中学生のための平和学習の一環として実施されている「中学生ヒロシマ平和の旅」のコーディネートなどに取り組んでいます。

今回の企画展示は「空襲から平和を考える」をテーマに、「空襲と空爆─被害と加害」「7.16平塚空襲─都市爆撃の実相」「伊勢原と空襲」「伊勢原市被爆者の会の活動」など8つのコーナーに分け、同市で保存している戦争資料などを展示。併せて、広島市立基町高等学校の生徒と被爆者との共同制作による「原爆の絵」の複製原画も展示されました。また、隣室では水島研究室が10年にわたり伊勢原市と協働で取り組んできた平和史料収集・公開事業の一環として制作した「戦争体験インタビュー」の記録映像や平和ドキュメンタリー映像などを上映。市内の中学生の平和作文受賞作品や、学生も同行した「中学生ヒロシマ平和の旅」の参加報告なども展示しました。

来場者からは、「大きな空襲に見舞われたことのない伊勢原市でも、多くの人が出征して亡くなり、否応なく戦争に巻き込まれていく日常がよくわかる展示内容でした。特に碑に刻まれた戦没者の苗字の多くが今でも近隣で馴染みのあるもので、少しさかのぼれば私たちと同じような景色を見て育った人たちが戦地で亡くなったのだと実感し、戦争のさまざまな面が感じられました」と話していました。

映像コーナーで上映された戦争体験者へのインタビュー映像を制作した山下蓮人さん(3年次生)は、「取材の過程で米軍艦載機の来襲を知らせるために警鐘を乱打している最中に機銃掃射で戦死した“カメさん”の存在を知りました。深掘りしていくと地域の消防団で活躍され、今でも住民から慕われている八田亀太郎さんのことだと分かり、写真を見たときは“会えた!”と感動しました。私は広島出身なので、原爆の被害について多くを聞いて育ちましたが、神奈川県内にも多くの戦争資料が眠っていることを知り、それらを伝えていくことが僕たちの役目だと思います」。また、「中学生ヒロシマ平和の旅」に同行した中島瑞葉さん(同)は、「現地で中学生たちが資料を注意深く見ている様子に、自分が今、中学生だったらこんなに真剣に向き合っていただろうかと考えました。空襲による延焼を防ぐために建物を壊して空き地をつくる“建物疎開”という言葉を初めて知り、戦争を大きな枠で捉えるのではなく、自分の家がなくなるといった地域単位のように小さな視点で見直すことも大切だと感じました」と話しています。

水島教授は、「今回の展示のテーマである“空襲”は、20世紀以降の戦争の特徴を表しています。第一次世界大戦時の兵士による地上戦から、戦闘機による空襲で全ての人間がターゲットになる総力戦になったからです。空襲とは落とされる側の言葉で、落とす側は空爆と言う。このように見えている世界がまったく違う断絶こそが空襲の核心であり、それが戦争を肥大化させ総力戦に巻き込んでいく状況は今日も変わりません。戦時下の伊勢原や平塚の空襲について丁寧に資料をひも解いていくことで、この展示が戦争を理解する端緒になればと思います。資料展示は今後、市内の中学校などを巡回することも可能です。私たちが戦争の話を聞いて想像するのは限界がありますが、その限界を超えたところに戦争の事実があるということをさまざまな資料をつなぎ合わせながら考えていくことができれば」と話しています。