こんにちは!JPOT(東海ジャーナリズムプロジェクト)の山口創大(3年生)です。
私たちJPOTは、9月16日に「昭和館」(東京都・九段下)とそこからほど近い「しょうけい館(戦傷病者資料館)」、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」を訪れました。
戦争について考える学外でのフィールドワークは、一昨年から毎年実施しているものです。
実は、これらの3つの場所は2年前にもJPOTのフィールドワークで訪れた場所でした。
2年前とはほぼメンバーが一新されていることから「また新たな発見があるのではないか」と思い、もう一度JPOTとして足を運ぶことにしました。
今年新しく参加した4人のメンバーの感想を紹介いたします。
阿部公太郎(2年生):「戦争の学び」
私は、昭和館としょうけい館を訪れて多くの感慨を覚えた。昭和館では、戦中から戦後にかけての日本の暮らしや文化について丁寧に展示されていた。展示物を通じて平和の大切さや先人たちの苦労を見ることができ、非常に勉強になった。特に、戦時中の食料不足や物資の供給問題など、日常生活の大変さがリアルに感じられる展示は強く心に残った。
次に訪れたしょうけい館では、戦争の悲惨さと戦争がもたらした影響について深く考えさせられた。兵士たちの日記や手紙、使用していた道具などが展示され、個々の人生の重みを感じることができた。特に、傷病兵の体験談を聞けるコーナーでは、戦争の悲惨さだけでなく、その後の復興の過程についても多く学ぶことができ、彼らの強靭な意志に感動した。
今回のフィールドワークで、歴史の記憶を風化させず、未来に繋げていく重要性を実感した。日本の過去を学ぶことで、現代を生きる私たちがどのように平和を守り続けていくのか、真剣に考える機会となった。
森凌大(2年生):「戦後80年に向けて」
かすかに秋の香りが漂い始めた9月16日、私たち広報メディア学科JPOTの学生は、東京都千代田区の九段下を訪れた。この九段下には太平洋戦争の歴史を現代に伝える昭和館という博物館が存在する。昭和館は太平洋戦争に突入する以前の国民の生活から戦争真っ只中の日本の様子が展示がされている。戦時中の食事や実寸代の防空壕が非常に忠実に再現されており、まるで1940年代の日本にタイムスリップしてしまったかのような感覚があった。また戦地から国内に残る妻や子供に向けた直筆の手紙は感慨深いものがあった。限られた一枚のハガキには溢れる想いが細かな字で埋め尽くされていた。デジタルでは絶対に感じ得ない、直筆の字が持つ複雑な情がそこにはあった。
日本は来年戦後80年を迎える。80年の時が経過し先の戦争を経験した日本人の割合はついに10%を切った。戦争の語り手は確実に数を減らしている。そんな今日、戦争歴史博物館が果たす役割というのは非常に大きいと感じる。80年という節目の年が近づく中で、1度昭和館を訪れる事を皆さんに推奨したい。
和田直太朗(2年生):「昭和館としょうけい館を訪れて戦争について改めて考える」
九段下にある昭和館を訪問し、太平洋戦争の前、そして戦中、戦後の復興など様々なことを学びました。その後、しょうけい館(戦傷病者史料館)を訪問して、戦争中に戦傷者に対する理解が深まりました。
両館を訪問し一番驚いたのは、戦争中に亡くなった人は、感染症で亡くなった方が多いという事実です。しょうけい館には、野戦病院の展示などがありましたが、戦争では、銃弾や爆発に巻き込まれて負傷・死亡するだけではなく、アメーバ赤痢や結核など病気に感染し、苦しみながら死んで行くことを知り、胸が締め付けられました。
現代においても、ロシアのウクライナ侵攻や、パレスチナをめぐるイスラエルとの対立など、世界の様々な場所で紛争が起こっていますが、戦争について改めて考えることができました。
八木沼千尋(1年生):「フィールドワークで得た疑問」
昭和館、しょうけい館と訪れて、戦争とは、「この先、切っても切り離せないものであり、決して忘れてはいけないもの」だと改めて実感したと同時に、1つ疑問に思ったことがある。
第二次世界大戦に限らず、戦争時、数多くいる兵士の中には一定数、「志願兵」がいたようだが、彼らはなぜ志願兵になったのだろうか。出征するとなると、一生消えない傷を負ったり、死亡するリスクが格段と上がったりするにも関わらず、兵士になることを志願する理由は何なのだろうか。
私は、一定数、志願兵がいた理由は、当時の教育が影響しているのではないかと考えている。戦争時、「お国のために、国家一丸となって」という考え方のもと、洗脳教育が行われており、自ら戦地へ行き、国のために戦いたいと思わせていたのではないだろうか。
これは、あくまでも持論であるため、個人的に調べていきたい。
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私(山口)自身は、2年前に訪れた時と今とで、被爆したご遺体の写真など、センシティブな写真の掲載が少なくなったという印象でした。
なぜ少なくなったのか、新たな疑問が沸くと同時にそうした細かい気付きや疑問を大事にしていきたいと思えたフィールドワークでした。
今回学んだことや感じたことを、これから編集作業をはじめる機関誌「Journalists」の記事の執筆や取材活動に反映していきたいと思います。
「Journalists」の発行は、来年2月ごろを予定しています。
4月に入学する広報メディア学科新入生の皆さんには、もれなく最新号を差し上げますのでお楽しみに!