ミズモノ・シンポでゴジラの破壊力を文学研究しました!

1月10日5限、ミズモノ・シンポが14号館大教室で開催され、多数の聴講者を得ました。
ミズモノ・シンポとは日本文学科の志水義夫先生(専門:上代文学・アニメ研究)、文芸創作学科の堀啓子先生(専門:近代日本文学・比較文学)、同じく文芸創作学科の助川幸逸郎先生(専門:源氏物語・近代日本文学)、それぞれ専門の異なる3人の研究者が、サブカルチャーと本格文学研究とを交叉させることをめざして始めたシンポジウムのことで、3人の名がいずれも「水」にかかわることから、ミズモノ・シンポと呼ばれるようになりました。すでに20年の歴史を誇る、東海大学ならではの学術イベントです。
さて、今回のテーマは「ゴジラ・シリーズの伝統と革新 ~科学者・親子・死」。
ゴジラ映画は、1954年の「ゴジラ」(監督:本多猪四郎監督/特殊技術監督・円谷英二/音楽:伊福部昭)から、2023年の「ゴジラ-1.0」(監督:山崎貴/音楽:佐藤直紀)まで、30作が作られてきました。
いったい、ゴジラの何が日本人の心をとらえたのでしょうか?
その理由を、志水先生、堀先生、助川先生に加え、志水先生の指導のもとゴジラ研究で修士論文を書きあげた宮内啓先生、日本文学科の安達原達晴先生(専門:近代日本文学)を交えて、文学史や批評理論や政治状況など、さまざまな角度からテーマを深堀りしました。
以下、堀先生と助川先生から、コメントをいただきました。

文学部日本文学科所属 志水先生


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(堀先生からのコメント)
恒例の「ミズモノ・シンポ」は、こちらも例年通り助川先生と志水先生の軽妙なトークで幕が上がりました。志水先生はゲストの教え子さんと緻密なゴジラ史年表で豊かな歴史を整理され、助川先生もいつもの通り幅広いご教養を惜しみなく披露されて縦横無尽にこのテーマの中を泳がれて、楽しく学ぶところの多いご発表でした。堀は、第一作と最新作のゴジラを通して水爆(核)と日本との関りを整理した上で、最新作「ゴジラー1.0」の主人公の台詞に荘子の思想「胡蝶の夢」に通ずる万物斉同のイメージを見いだし、そこから生じる「夢と現実の端境」に出現していく人間の創造物の先にあるものとして、仮想空間の出現とAI futureの未来を描くMichael Bruce Sterlingのcyberpunk小説に意識を馳せました。なお日本文学の観点からは、武田泰淳の『「ゴジラ」の来る夜』(1959)にも言及し、ゴジラというテーマの普遍性についても報告させて頂きました。お聴きくださった皆様、興味をお持ちくださった皆様、有難うございました。自身も、ゴジラの魅力に開眼する得難い機会となりました!


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(助川先生からのコメント)
常軌を逸した過剰な力――これを備えた存在を、日本人はかならず排除して死へ追いやります。そして、死んで暴力性を剥ぎとられたそいつ(ゝゝゝ)を、「守護神」に据える。平将門、菅原道真、西郷隆盛、田中角栄……『平家物語』で語られる木曾義仲や平清盛も、この系譜にぞくするとわたしはみます。
このタイプの人物がもつ「荒ぶる力」の源泉は、「土着の伝統」です。日本人は、海外からの影響を濾過してうけいれるといわれます。仏教も、漢字・漢文も、西洋文明も、たしかにそのようにわたしたちはあつかいました。いっぽう、土着性に対しても、つねにフィルターをとおして接してきたのです。
 戦没者の怨念を背負って東京を破壊。しかるのちに人類を守るヒーローにまつりあげられる。ゴジラは、将門や西郷の末裔です。〈彼〉と真剣にむきあい、おびやかされる――そのかまえから、「ニッポン的なるもの」の真の姿が立ちあがる。そんな気がわたしはしています。

助川先生(右)と志水先生(左)