宗澤香音さんの小説が、群像新人文学賞の最終候補に残りました!

本学科の卒業生、宗澤香音(むねざわ・かのん)さんの小説作品「おそれとおののきたち」が、第65回群像新人文学賞の最終選考に残りました。

群像新人文学賞は純文学系の「新人の登竜門」で、村上春樹、村上龍、多和田葉子、阿部和重など錚々たる作家を輩出してきました。

惜しくも今回は受賞を逃しましたが、宗澤さんは昨年も同賞の第5次選考に残りました。ゴールは目前です。

さて、宗澤さんにコメントを求めたところ、次のような文章が編集部に寄せられましたので、以下、ご紹介します。

──文芸創作学科の在学生や受験生の方に、何かためになることを書こうとしたのですが、一日中書きあぐねています。小説に対してこういったやり方が有効であるとずばり助言することが私には出来ないからです。そもそも私には小説というものがよく分かっていません。しかし分からなくてもいいのだと、開き直ってしまえば、小説は途端につまらなくなります。小説について何か助言するということはおそらく不可能で、ひたすら自分の態度を示すほかできることはないのだと感じています。

大学入学当初、心が不安定だった私はおかしなものが見えていました。それは得体の知れない大きな怪物の列です。奴らは教室の窓から入ってきて、匂いとすごい音をまき散らし、廊下側の壁へすり抜けていきます。私はそれをゲルニカと名付けました。まるでパブロ・ピカソが描いた『ゲルニカ』を受肉させたもののように見えたからです。ゲルニカについて人に話すと、相手は、創作だ、と鼻で笑います。当たり前の反応だと思います。そんなものは、実際いないからです。ないという意味では小説も目に見える現実ではありません。そこに確かにある(いる)のに、ないとされている者同士、ない交ぜにしてしまおうと思ったのが小説を書くきっかけでした。

大人になるにつれて現実のなかに居場所を見つけ、ゲルニカを見ることはなくなってしまいましたが、私は奴らが今もいるのだと信じています。ふとした瞬間に、他人の中から、あるいは自分自身の中から得体の知れない大きな怪物の気配がするからです。ゲルニカは怪物であり、人間だったのです。わたしはあなたの読み方どおりに読めませんし、わたしはあなたの書き方どおり書くことが出来ません(ここでの「あなた」は今この文章を読んでいるあなただけではなく、今まで生まれてきた書き手——例えば、夏目漱石やエミリー・ブロンテ——も含んでいる不特定多数のあなたたちです)。それどころか、どうしてあなたがそのような読みをして、あんなふうな文章を書くのか検討もつきません。わからないものに少しの抵抗を抱きながら、受け入れ刮目することがゲルニカ/人間との邂逅であるのです。私が書いた小説の選評が掲載されている「群像2022年6月号」をよかったらご覧になってください。