角田光代さんのベストセラー小説『八日目の蟬』は、不倫相手の子供を誘拐した女性をめぐる物語です。殺伐とした犯罪小説かと手に取りましたが、夢中で読み進めるうちに、不思議な気持ちで胸がいっぱいになりました。4歳になる自分の長男が、愛しくてたまらなくなってしまったのです。それは私だけではないようで、作家の池澤夏樹さんはこの小説の解説を「育児の快楽」を語るところから始めています。その素晴らしい文章の一部を末尾に引用したので、ここだけでもぜひご一読ください。
池澤さんの文章を思い出したのは先月半ば。昨年度まで本学科の教授だった谷岡里香さんが、多賀太・関西大学教授を囲むオンライン勉強会に誘って下さり、多賀さんのご著書『ジェンダーで読み解く男性の働き方・暮らし方』(時事通信出版局、2022年)を読んでいる時でした。同書は男性の仕事と家庭生活をめぐる課題を大変わかりやすくまとめており、男性には特に一読をお勧めします。男性の家事・育児参加がなかなか進まない現状に、息が詰まるような苦しさを覚えました。そして同時に、「育児の快楽」がもっと多くの男性に伝わることが、社会のジェンダー平等を促進する大きな力になるのではないかと思ったのです。
育児はまるで、自分が育てられた過程を再び辿るような体験です。大人になったらまず行かないような公園や小さな遊園地、保育園の遊具で子供と一緒に遊ぶ。散歩をしながら綿毛や落ち葉の感触を楽しむ。細心の注意を払って寝かしつけ、昼寝をしている間のわずかな時間に家事を済ませる。理不尽な要求に疲れ果てうんざりしているのに、寝顔を見ているだけで心が満たされる。子供が健やかに育つにはどれだけ多くの配慮が必要か、そして自分がどれだけ多くの愛情に護られていたかを日々、痛感しています。そして残念なことに、私が新聞社に勤務していた20年前だったら、子育てを楽しむ余裕は全くなかったに違いなく、会社もそれを許さなかったでしょう。育児の喜びをもっと多くの男性に味わってほしい。それが可能な社会の形成に少しでも貢献したい。
そんな思いを込めて、池澤さんの「解説」冒頭を引用します。
「この小説を読むに際して、まずは育児が快楽であることを再確認しておこう。
新生児を風呂に入れてやる。大きく開いた左の手のひらに赤ん坊の後頭部を置き、親指と小指で両の耳をふさいで、背中から尻までを下腕に乗せ、ガーゼの肌着を脱がせないまま浴槽に入れる。湯の中でそっと肌着を脱がせる。この順序だと裸が外気にあたって泣くことが少ない。静かに声を掛けながら柔らかい皮膚をゆっくりと洗ってゆく。赤ん坊はいかにも満足げにしている。自分が温泉に浸かる以上の快楽だ。
数か月すると離乳食が始まる。お粥、牛乳を使ったパン粥、薄く味をつけた野菜のマッシュ、おろしたリンゴ……そういうものを小さなスプーンで小さな口に入れてやる。それが収まって嚥下されたときの満足感。いや、それ以前、一瓶のミルクを飲ませるだけだって喜びだ。前回は90ccだったけれど今回は120ccだという誇り。
おしめを換える。昔の布のおしめは大きな安全ピンで留めた。事故を避けるために必ず内側に左手を入れて、その上でピンをなるべく水平に刺す。万一の傷と痛みは自分の手で受け止める覚悟で。今の紙おむつならば粘着テープだからこの配慮は不要。
一歳くらいになると歩き始める。
手をつないで歩く。その時に大人と子供の手は互いに自然につなげる位置にある。子供はもうそこまで背が伸びていて、大人は身をかがめずともその手を握れる。こちらの人差し指を握るあの小さな手の感触。それを通じて伝わる動きと信頼感。おぼつかない足取り。
母親は、それは自分が「おなかをいためて」産んだ子だから与えられる快楽だと言うかもしれない。では、父親ならばどうか?自分では産んではいないけれど、それでもやはり快楽なのだ。誘拐した子供を育てる場合と同じように。」(池澤夏樹「解説」角田光代『八日目の蟬』(中公文庫、2011年)p.371-372)