公開講座ヒューマンカフェ「夷酋列像を日本から持ち出したのは誰か。」を開催しました

札幌キャンパスでは5月18日に紀伊國屋書店札幌本店で、東海大学公開講座ヒューマンカフェ(道民カレッジ連携講座)「夷酋列像を日本から持ち出したのは誰か。」を開催しました。1984年10月26日の北海道新聞に「蠣崎波響(かきざきはきょう)の幻の名作『夷酋列像(いしゅうれつぞう)』仏で十一点発見」というニュースが掲載され、大きな話題となりました。本講座では、2010年にフランス・ブザンソン美術館を訪問し、『夷酋列像』の調査を行った国際文化学部デザイン文化学科の石塚耕一教授が講師を務め、『夷酋列像』をフランス・ブザンソンに持ち込んだ人物について推論を立てるとともに、その作品としての魅力について解説したものです。会場には札幌市内の方々を中心に、日本史・郷土史に興味がある方や美術ファンの方々など、総勢117名(定員80名)が参加しました。

石塚教授はまず、夷酋列像の作者で松前藩の家老だった蠣崎波響と同時代にヨーロッパ各国で活躍した画家との作風や画材などを比較するとともに、波響の生涯を振り返りながらその技術がどのように確立されてきたかを解説しました。また、夷酋列像が制作された背景として、当時の松前藩によるアイヌの人々との紛争や江戸幕府との関係性といった藩の状況について語り、「作品に描かれた酋長たちは権力の大きなものから順にロシアから持ち込まれたと思われる衣装を身に付けていたり、さまざまなポーズをとったりしています。美しさや装飾性を求めるのではなく、政治的な意図で描かれたことがこの作品の特徴ですが、異国の衣装などを用いて独自の世界観を示し、緻密な描写で鑑賞者を引き付ける力もあります」と説明しました。

また、2010年に当時、北海道松前高校の校長としてかかわった夷酋列像の調査についても紹介し、作品が収蔵されているフランス・ブザンソンの博物館を訪問した際のエピソードも披露。「私は校長在任時、現地で『夷酋列像は松前町にとって貴重な財産であり、北海道についても大切な遺産』だというメッセージを伝えました」と振り返り、「その後、松前町長が2度ほど訪問したものの、先方の都合もあり、松前町への貸し出しで終わってしまったことは残念です」と語りました。さらに、「日本からも持ち出したのは誰か?」という主題に沿って、石塚教授が重ねてきた調査から得た推論を披露し、「候補の一人目はフランス陸軍士官で、戊辰戦争で榎本武揚や土方歳三とともに箱館で戦ったジュール・ブリュネ。絵が好きで多数の作品を残しているほか、松前藩の貴重な刀をフランスに持ち出していることが確認されています。二人目の候補は神父で箱館にカトリック元町教会を作ったメルメ・カション。私はアイヌに強い関心を持ち、日本の絵や書物、人形を愛した上にブザンソン近郊の出身であったカションが持ち出したという説を唱えます。ただ、さまざまな資料をあたってもまだ真実にはたどり着きません。歴史にはロマンがあり、このようなことは考えただけでも楽しいものです。さらに、事実を知ったときに感動もあるでしょう。ぜひ皆さんも蠣崎波響について調べていただきたい。この絵は北海道にとって大変重要なものであり、アイヌの皆さんにとっても貴重な財産。今後も多くの人に研究してもらい、北海道のすぐれた遺産になってほしいと願っています」と語りかけました。

公開講座0518夷酋列像 (1).JPG

公開講座0518夷酋列像 (2).JPG

公開講座0518夷酋列像 (3).JPG

公開講座0518夷酋列像 (4).JPG

公開講座0518夷酋列像 (5).JPG