学科教員リレーエッセイ⑳ 水島 久光 教授「いま『戦争を考える』ということ」

 2020年(戦後75年の年)に単著『戦争をいかに語り継ぐか』(NHK出版)を出して2年目の2022年、想像だにしていなかったロシアのウクライナ侵攻が始まりました。長く「戦争の記憶」の研究を続けてきた私も、まさかこんなに身近に衝撃映像が溢れる時代になるとは思ってもいませんでした。
 もちろん我が国が憲法によって「不戦」を掲げて以降も、朝鮮戦争、ベトナム戦争に始まり、その後も中東をはじめ、世界の戦火が絶えた時代はありません。しかし何かが変わった。我々は新しいメディア技術(例えばSNSやドローン映像)によって、今までと全く違うリアリティでそれを受け止めています。
 2022年12月末、ある有名司会者が新年に向けて 「新しい戦前になるんじゃないですか」という発言をして話題になりました。私は、この言葉を「“歴史が繰り返される”との危機感が煽られた」のではなく、全く違う文脈でとらえています。それは「我々は、ここでいかにして踏み止まるか」―その知恵が試されているのだと。
 その手がかりは78年前に終わった「あの戦争」の記録にあります。もう自らの実体験としてその記憶を語れる人はほとんどいなくなりました。しかしそれだけに、「記録をしっかりアーカイブ化し、読む側が主体的・論理的にその意味、判断のプロセスを解釈・理解する」ことが大事になっています。
 ここ数年、近隣の伊勢原市、平塚市の中学生たちと町を歩きながら「戦争を学ぶ」学習デザインに取り組んできました。「悲惨さ」を恐れるあまり、対象から目を背けるのではなく、たくさんの残された資料から、自ら好戦的なムードに傾いていった民衆の(特に子どもたちの)気持ちを想像するように促しています。

タウンニュース 平塚版 2020年12月10日
https://www.townnews.co.jp/0605/2020/12/10/554415.html

 水島研究室では、これまでも満州事変~日中戦争期の小型映画をデジタル化したり、当時の学生の手記をお預かりしてきました。こうした資料を読むと「総動員体制」とは何だったのか、感覚的に掴めるようになってきます。戦争への関与は、単純に「敵・味方」「被害・加害」に二分できるものではありません。
 2022年夏は、伊勢原市が収蔵する戦時資料に我々の研究室資料を重ね、以前から共同研究をしてきた大磯町郷土資料館の協力も得て「平和を祈念するパネル展」を開催できました。「誰に、何を伝えるか」を意識した展示会場づくりは、「なぜ戦争はしてはいけないのか」の原点に立ち返るものでした。

 年度末には伊勢原市の自治会エリアごとに「戦時記憶」を収録してきた映像プロジェクト「伝えたい思いをのせて」も、第三作の伊勢原北地区版を完成させることもできました。これら大学生たちと一つひとつの記録に向き合いつつ進めてきた活動も、2023年度は次なるステップにつなげたいと思っています。

※第三作目は3月に公開

 「戦争は始めてしまったら終われなくなる」…それはこのウクライナ侵攻が端的に示しています。でも、かつて我が国もその泥沼を経験し、想像を絶する数の命を失いました。我々はここを、分岐点にしなければ。ここ数年で、戦争を扱った番組アーカイブも充実してきました。ある意味、ようやく「不戦」の実現に歩みを進める「機が熟してきた」と言えるのかもしれません。一緒に勉強しましょう。